【放浪の】ニコ・ピロスマニ【画家】
絵で飯を喰っていくって大変なの。わかる?「放浪の画家ピロスマニ」を観ました。
「ライトハウス」おもしろかったなあ~!
あ~、おもしろかった!
意味が完璧に不明だったけど、面白かったなあ~
ということで、配給元のトランスフォーマーが作ってくれた徹底解析サイトを眺めてたら、サラ・オーン・ジュエットという(19世紀のアメリカの女性詩人)気になる人がいまして…
私、気になるんスよね~。
男性ですら(本人の意思を)無理してまでケッコンせざるを得ない時代にですよ。
一生を独身で貫き通した女性って、周りの人にどんな対応されたのかな?って。
家族、特に親とか自分の娘をどんなふうに見てたのかな?っTENET。
しかも、詩人とか作家とか金になるのかならんのか分からん(自称可能な)職業に就いてるってなかなかなモンですよ。
と思いませんか?
思わないですか。
そうですか。
だから、私はこちらも観ましたよ。
「セックス&ザ・シティ」のミランダことシンシア・ニクソン主演の「静かなる情熱 エミリ・ディキンソン」を。
「静かなるドン」ちゃいますよ?
「静かなる情熱」でございまさぁーーーっね!!
(すみません。急に私の中のハリウッドザコシショウが頭をもたげてしまいました)
ディキンソン女史も生涯を独身で貫いた、生前は無名の詩人です(つまり無給)。
そのうえ、ほぼ家から出ないヒッキーでした。
しかし、彼女の場合は家族や友人や周囲の人たちが良い人たちだったような記憶が…。
(映画の内容ほぼ忘れた…あ、あまり、面白くなかった…(小声だけど太字))
家から出ない引きこもりも、あえて当時だから出来たような気が…?
それにたしか裕福(かつ知的)な家の娘だったような記憶が。
現代のような金銭的に余裕のない家でも引きこもる、というような感じじゃなかったはずです。
私もずっと引きこもっていたかったのですが、そうはいきませぬものねえ。
(サマンサの居ない「セックス&ザ・シティ」って観る気無くすなあ。
サラ・ジェシカは「皆たいしてキャリーには興味がない」と早々に気づいてキム・キャトラルを大事に扱うべきだった…)
というわけで、
サラ・オーン・ジュエットを調べていると偶然にこんなサイトを発見したのです。
カテゴリーやテーマによって分類されたアート作品 (meisterdrucke.jp)
オーストリアの会社で、アート・プリントを販売しているようです。
世界中に発送してくれます。
(高額なので手がまったく届きませんが)
サイト自体が日本語対応可能なので、最近は暇なときはここのサイトで絵や写真を眺めています。
(年中暇ですが)
んで、
このサイトを眺めていると、
「ナイーブ」って~なんやあ~?「アホ」っつー意味か?つって、
(違います。素朴派と訳します)
この牛さん、イイなあ~つって、画家は誰かなあ~つって、
辿り着いたのがこの人でした。
ニコ・ピロスマニ
同サイト内の紹介記事です↓
次のアーティストによるアート作品: Niko Pirosmani (meisterdrucke.jp)
こちらがウィキ↓
というわけで、
「放浪の画家ピロスマニ」を観ました。
前置きが長い。すでに嫌な予感しかない。
<グルジアってどこ?>
ピロスマニはグルジアの画家です。
上はもうロシアです。
ジョージア(グルジア)はかつて旧ソ連構成国でした、構成国というか支配下にあったというか、傘下にあったというか。
今とても悲しい状況になっているウクライナとは黒海挟んでます。
!戦争反対!
(同じひとりの人間に長期間にわたって権力を与えるとロクなことにならないマジで)
日本では、2008年にロシアと国交断絶したジョージア側の要請を受け、2015年4月までの国名呼称にグルジア(ロシア語: Грузия, Gruziya)からジョージアへ変更した
と、ウィキにありました。
“グルジア”という呼び方はちょっともうやめてくれとジョージア側が言うてますし、
ややこしいから本記事ではジョージアになるべく統一していきます。
ジョージアと聞いて「ああ!松屋!」と思ったそこの貴方!そうです!
シュクメルリのジョージアです!!
駐日ジョージア大使も松屋のシュクメルリの味を褒めていましたね。
え?
この人は…そうです!!
Twitterでよくバズってる人です!!
松屋のときは特にお祭り状態でしたね。
ジョージアはあと、最近では観光地として注目されていますよね。
ジョージアワインもとても人気です(酒呑みにはうってつけの観光地)。
<<はい、では観ます~(やっと…)>>
<バッキバキのキメキメのフレーム内の構図>
本作「放浪の画家ピロスマニ」が作られたのは1969年。
日本公開は旧ソ連の鉄のカーテンがカチンコチンだったのか1978年まで待たなければなりませんでした。
本作は全体的に音楽が素晴らしいんですよね。
なんていうんでしょうか、あの「惑星ソラリス」みたいなくぐもった音…
ぶぅおお~ん、みたいな。
パイプオルガンでしょうか?
私好きなんですよね、ああいうSFレトロのような音というか音楽というか。
りそな銀行のATMの操作音がですね、まんまそういう音を出すんですよ!
ピぃ~↑うゔ~↓って。
もう私はね!「お預かり」、「お引出し」、「通帳記入」等々のボタンを永遠に押していきたい!!
りそな銀行の口座をお持ちの方は是非とも注意して聞いてくださいませ。
ピぃ~↑うゔ~↓
ピぃ~↑うゔ~↓
てねっ!!りそなのATMで身体が打ち震えてるアホがおったらそれは私です。
というわけで、そんなSFレトロの音楽を交えつつ民族音楽も流れるという、好きな人にはたまらない仕様になっております。サントラあったら私も買おうかと思います。
さて、
映画には描かれていませんが、ピロスマニは幼少のころに両親・兄を亡くし、アルメニア出身の貴族に引き取られます。
(ピロスマニ家はこの貴族が所有するブドウ畑で働いていたのです)
この貴族さんたち、ピロスマニを可愛がって育てます。
特に娘のうちのひとりがピロスマニに読み書きを教えて、姉のような立場だったのかな?
しかし、大きくなったピロスマニは彼女にラブレターを送り彼女を戸惑わせます。
(ここから映画が始まるのですが、事前にピロスマニの生涯をウィキか何かで目を通してから本作を観ることをお勧めします。恐らく、ジョージア的には知ってて当然の前提で話が進んでいきますから)
娘さんが「恋文なんか送りつけて私たちの友情は終わりよ!そのために読み書きを教えたんじゃない!」と、泣いてしまいました。
(注:後ろのオバちゃんたち、動きます)
ピロスマニはいたたまれなくなったのか、家から出ていきます。
本作の主人公ピロスマニを演じるのは、本作の美術担当だった人。
渡し舟で向こうの岸に行きます。
本作は1シーン、1シーンがまるで絵画のように構図・配置センスがバッキバキなんですわ。
因みに撮影は曇りの日と、午後の遅い時間を選んだために本作が出来上がるのに1年半かかりました。拘りですわ。
監督のギオルギ・シェンゲラヤは当時30歳。
ざっつ・H-I-B-O-N
<ピロスマニ、商売を始める>
そんで、ピロスマニは看板屋をやったり鉄道で働いたり(クビになる)したあと、友人のディミトリと一緒にミルク屋を開店させます。
目標はお金を貯めて木の家を建てること!
看板にと、自分の描いた絵を飾ります。
(グルジア語のコレね→ საქართველო。日本では知らず知らずのうちに顔文字でジョージアにお世話になっている人も沢山いるのではないでしょうかლ(╹◡╹ლ))
牛乳、チーズ、ヨーグルト、バターなんかを売ってまあ~す!
最初のお客さん来たよー!
なんとも入りにくいお店です。
(友人ディミトリは接客態度に問題アリですね)
そんな日々のなか、ピロスマニは接客中にお客を放っていきなり干し草を買いに店を飛び出したり(田舎を思い出すんだそうな)、店の外でお昼寝したりとおかしな行動をしばしば。
お昼寝中に(亡くならなかった実の)姉夫婦が訪ねてきます。
グーグー!
無愛想なディミトリに店番を任せておいて商売に影響しないのでしょうか。
酒持ってきたで~みんなで呑もうや~って、見たことのない道具を使って袋に入っている酒?を吞もうとします。何だろう?
異文化カルチャー・ショック到来です(ていうか本作は大概そうなのだが)。
やまやに売っている箱ワインに、
ブスっと差し込んで飲む、みたいな感じでしょうか。
姉夫婦はピロスマニに「そろそろケッコンしたらどう?」と縁談話を持ち掛けてきたのでした(ほうっておいてやれよ!)。
というわけで、お見合い会場。姉夫婦の家の前。
ケッコン相手候補の女性、じっと動かないので少々怖いです。幽霊みあります。
が、音楽が鳴り踊り始めました。
このときの音楽がばちクソ良い!!
ピロスマニはというと、もうどうして良いか分からず、
赤ワインをヤケ酒です。
(吞んでいるのは醤油さしに入っている醤油ではありません。これが醤油だとしたら致死量です)
はっ( ო・~・ო)!!と気づくとお相手の女性が一瞬で横に来てました。
(この女性だけ演出が何故かホラー映画です)
ピロスマニがふと周りを見ると、ミルク屋で使っている粉(何の粉やろ。姉夫婦に分けてあげたもの)を村人たちに叩き売りしているではあ~りませんかっ!!
姉夫婦はピロスマニが商売で成功して金もうけてる!と踏んで、その恩恵にあずかろうとしたのでした。
(商売でピロスマニにお金の余裕ができたのは事実のようです。そのお金で姉の家を建ててあげて、当時は高価なミシンを送ってあげたりした為に姉夫婦はピロスマニのことお金持ちだと勘違いしたそうです。そのせいでピロスマニと姉夫婦は仲違いし、ピロスマニはより一層孤独な生活を送るようになったそうです)
それに憤慨したピロスマニはその場から立ち去ってしまいます。
お店に戻ったピロスマニはディミトリに八つ当たりをしてしまい、ディミトリは店から出て行ってしまいます。
(実際はピロスマニの気持ちのアップダウンの激しさ、仕事しないで絵を描き続けるなどでディミトリとも関係が悪化していた)
独りになってしまったピロスマニは、お金に余裕のある人には5倍以上の値段をふっかけ、ツケで買わざるおえない老婆には何も言わず商品を与え、しまいには貧しい人や子供たちに無料で全ての商品を配ってしまいました。
ビジネスセンスゼロ!
閉店ガラガラ!
ピロスマニはお金をお姉ちゃんのために使ったりと、そもそも「お金もうけたるで!」という人ではそもそもなかったんだろうなあ。
けども、貯金して家を建てると言うてたやんかあぁぁぁぁ…
<酒・食料の代わりに絵を描き始める>
家もなく金もなくなったピロスマニは居酒屋を渡り歩いて、看板や壁に飾る絵を店の依頼で描く代わりに、酒、食事、寝床、画材を用意してあげていました。
店内で呑んでいるグループが「こっちで呑もうやあ」と誘っても丁寧に断り、独りで過ごします。
(このような立ち振る舞いや西欧風の服装から町の人たちは彼のことを「伯爵」と揶揄していたことも多かったそうです)
自分の描いた絵に店のオーナーが文句をつけると、
このド素人が!!
と、怒ってしまうという「おいおい、難しいやっちゃな…(მრჯობ)」という面もありますが、近しい人はピロスマニの愛称である「ニカラ」と呼んで慣れ親しみ、彼のお世話をしていたそうです。
店内に噴水があるという、至るところがカビだらけになりそうな居酒屋のオーナーが、
(熊、動きません)
「お前、もうここで働け。給料も払うし、部屋もあるし、風呂も入れる。余った金は貯金して、絵は仕事のあとで描けばいい」
と、お前天使か?という提案をピロスマニにしてくれます。
しかし、ピロスマニは断ってしまいました。
なんでだよぉ!!
なんでだよぉ~!!
ピロスマニィイイイイイイイイイイイ!!
<ピロスマニ、恋をする>
そんななか、町の外れをウロウロしつつ、劇場型のバー?みたいな?(当時でいうホテルと併設されているようなところ?)施設に酒とゴハンを食べに入ります。
そこで出会ったのが、
フランスからやってきたという女優のマルガリータです。
これが恋ってやつか
歌って踊れます!EXILE!
足上がります!
このピロスマニの叶わぬ恋を歌った歌謡曲が「100万本のバラ」です。
1982年にソ連でシングルが発売されソ連崩壊までヒットしていたらしい。
日本では加藤登紀子さんがカバーしていることで知られています。
(まあ、しかし、ピロスマニがマルガリータに大量のバラを贈った事実はなく、歌詞書いた人の創作なんだって)
ピロスマニとマルガリータはそれ以上は何も発展することはなく、彼の片思いで終わったっぽいですね。彼女はフランスに帰るだろうしね。
絵も描いたよ。
<全国の酒呑みは聞いてるかのコーナー>
ある日。
とある居酒屋にて、ピロスマニが相変わらず酒を呑んでいます。
ピ「このお酒をどう呑もうか…」
う、ううう( ; წ ;) わ、わかるぅうううう!!
ピロスマニいいいぃぃぃぃぃ!!!
ピ「人生が僕を呑みそこなって、のどに引っかかってしまった」
ぐおおおおおおおお!!!!!( ; წ ;)
それを聞いていたオーナー、
オ「嫁をもらえ、楽になるぞ。世の中に歩調を合わせろ」とクソバイス(どこがクソかっていうと嫁をもらったら楽になるという発想。ただのモラ男やん)、助言。
ピロスマニは歩調を合わせることは「それは僕にできない」と言います( ; წ ;)。生き辛いやっちゃなあ…。
女房も子供もいらん、と言い、
ピ「独りで生まれて独りで死んでいく。人は生まれたときに何を持ってきて、死ぬときに何を持ってゆくんだ。僕は死を恐れない。人生は短い」
と、答えます。この独りで生まれて~の文言はジョージアでよく知られている言葉だそうです。
<やっと陽の目が!!っ…>
そんななか、都会?からやってきたとおぼしきスーツを着こなしたアーティスト二人組が、ピロスマニが長年お世話になっている居酒屋(ホテル?マルガリータを見た劇場の敷地内にある大きな建物)で、彼の絵を「すごいス!」と見出します。
二人組が居酒屋(だかレストランだか)でピロスマニの絵を「ほほぅ」と眺めていると、ピロスマニの友人のヴァノが暴れだします。
「テメらみたいなお高くとまった連中に俺たちのピロスマニの絵の良さがわかるかボケェ!」(ちゃぶ台返し)とか言ってた気がする。
この静かな本作では、数人が踊る場面とこちらのヴァノが暴徒と化す場面以外アクションが無いという、貴重なシーンである。
そんなヴァノの願いもむなしく、二人組はやっとピロスマニに会えました。
「あなたの絵は必ずや世に出るでしょう」と彼に伝えました。
彼らがピロスマニを“発見”したことで、ピロスマニはグルジア芸術家協会に招かれます。
MC担当の人が「これから彼の絵を収集していけたらなと思います☆!」と宣言しました。
やっと!
良かったねええ!!ピロスマニィイイイイ!!
まさか、おまえ、断るんじゃないだろうな!!??
「束縛されたくない」とかいって!!
そんなこと言うな!言うなよ!??と、ハラハラ見ておりますと、
ピロスマニもなかなか御満悦な様子である。
ピ「街の真ん中に大きな木の家を建ててお茶を飲みながらみんなで芸術を語り合いましょう!」
これで将来は安泰や!
そうは問屋が卸さないのが悲しきかなそれが人生なり…
<るんるん(*^უ^*)>
姉夫婦とは仲直りしたらしく、彼らの家に遊びに行きます。
(グルジア芸術家協会に招かれる前に画家の人に個展をひらいてもらったらしく、)
少しばかりの金の余裕もできたのでしょう。
姉夫婦に「新しい農具買ってあげる」と言います。
またそんなことを…、と思っていますと、
ん?あれれ?ピロスマニが町に戻ってみますと、なんだか様子が変です。
全てが寂れています。煤けています。
(その代わりに熊が動き出します(嘘です))
グルジア芸術家協会がピロスマニの絵を全回収して、絵を失ってしまった町は色彩を失くしてしまったのか??
ピロスマニは困惑して、友人たちに訊きます。
ピ「いったいどうしたの?」
友人たちが新聞をわたしてきました。
「基礎が不十分である。今から勉強をやり直しても遅くはない。」
ピロスマニの絵を酷評する内容の記事が掲載されていました。
町が寂れたのは、ピロスマニの絵が無くなってしまったのと、この記事を読んで大変ショックを受けた当時のピロスマニの心情風景を表したものなのかもしれない。
と、私は思ったのだが、歴史的に第一次世界大戦の影響やロシア革命の直前で、経済も疲弊したジョージア(当時はグルジア)を表したものらしい。
Twitterでもいますけどね、たまに。マシュマロで絵師に文句言う人。あれほんまにヤメたほうがええですよ。人の人生変えますよ悪意のある言葉は。ってか、そんな奴は私がコ〇シタロカ!
とまあ、ここから手の平を返したかのように町の人がピロスマニに冷たくなります。
ヴァノって、評論家の評価とかどうでも良いみたいなキャラじゃなかったっけ?(;^ლ^)
<晩年ピロスマニ>
そうして、周囲の人たちから馬鹿にされるようになって人前から徐々に姿を消していったそうです( ; წ ;)。
晩年はどこかの階段の下(本来は物置なのだろうか?)に住むようになります。
(しかし実際はこの住まいからも追い出されてしまい、亡くなる半年前は穴?の中で暮らしていたそうです。本作はそこまで描いておりません)
画家のラドって人がピロスマニを訪ねてきました。
(後に高名な画家となるラド・グディアシュヴィリ。ジョージアを代表する画家とまで呼ばれている人物です)
ラドは今でもピロスマニを応援している人たちからカンパを募って、お金を届けに来てくれたのでした。
ピ「皆の前で持ち上げられて 要するにからかわれてたんだな」
と、立ち直れていないピロスマニが描かれます。
ラドをもてなしたいが、冷たい水とパンしかないと言う、ピロスマニ。
(ラド・グディアシュヴィリによりますと、当時のピロスマニは以前よりさらに貧しくなっていて、頭や手を震わせ、独り言をいって、物忘れもひどかったそうな。ひどいことに、子供に石を投げられていたんだとか…)
ラドは生活費と絵の具の購入費のためにお金を持ってきたのだが、そのお金を持ってピロスマニは下戸のラドを連れて酒を呑みに行こうとします。
うううピロスマニィイイイ駄目じゃないかあ~~(; ・`დო・´)
頭と手を震わせ独り言いって物忘れって、それってアル中なのか?
しかし、彼がアルコール依存症だったことは昨今では疑問視されています。アル中で1000枚以上も絵を描ける?ってのが理由らしい。
ラドは帰ってしまい、そのあと何故か数人の男に拉致られ、
ピ「もう手が動かない!絵は描けない!」
と本人が言っているのにも関わらず、復活祭の日まであと三日ある!それまでに絵を完成させろ!完成するまで部屋から出さない!
と、とある建物の屋上に監禁されます。
新たなデス・ゲームの始まりか…
と、思っていましたところ、次の場面は難なく復活祭の当日の風景が。
多様な人たちが飲み食いしお祭り気分☆彡
「あっ!ピロスマニのこと忘れてた!」
と、男のひとりが言い(その瞬間音楽も鳴り止み(笑)←いや笑い事ではない)、
え?!あ!あ!あ!やば!やば!
と、男たちが急いで監禁部屋に向かいます。
ここまでくるともはや、ラース・フォン・トリアー状態。
ピロスマニはどうしてか、生きていました。
なかなかなサイズの絵を完成させて。
ピロスマニは男たちが引き留めるのも聞かず(引き留める権利なんかあるんか ?(ბ_ობ;
)とぼとぼと自宅へ。
彼がいつ亡くなったのかは諸説あるみたいで、その復活祭の日に隣家の人が重病のピロスマニを発見し、知人が病院に連れて行きその1日半後に亡くなったとされているのが定説っぽい感じでしょうか?
本作では、役場の人?警察みたいな地域を取り締まる人??が、ピロスマニの様子を見に来ます。
男は「死ぬところだ」と言うピロスマニを馬車に乗せて、どこかへ連れて行きます。
完。
なんとも救いようのないような報われなかったのがとても悲しい気持ちにさせる(特に新聞に載った評価からショックを引きずったままの描写とか、悲しい)本作ですが、
とても独自で美しい映画でした。観て良かったです。
きっとこの監督にしか撮れない作風だと思います。他の作品も観たくなりました。
さて、この本作は「ジョージア映画祭2022」で上映されるそうですね!
『ジョージア映画祭2022』公式サイト|コーカサスからの風 (georgiafilmfes.jp)
巡回情報によれば、東京はもう終わっちゃってますが、群馬、京都、横浜~とまわるみたいですね。
私はこのAプログラムのシェンゲラヤ家特集と、
(ギオルギは本作の監督たん。ニコロズは父。エルダルは兄。)
Bプログラムのニコ・ピロスマニ特集が観たいですね。
「ピロスマニ」が本作。
「ピロスマニ・ドキュメンタリー」はTwitter情報によりますと、観る機会がもう今回しかないくらいに貴重なんだとか。
そして、この印象的な写真はパラジャーノフ監督の「ピロスマニのアラベスク」です。
(この動画はリストア版の宣伝かな?技術の進歩ってすごい。てか音楽が良い!)
この「ピロスマニのアラベスク」もですね、日本ではソフト化されてないんですね。
したところで元が取れないという現状がありまして…
そんな顛末を書いたこちらのブログ記事がとても面白いです。↓
ピロスマニのアラベスク DVD化活動の顛末 - ことはのは (goo.ne.jp)
50人のパラジャーノフ・マニアが集まって、1人3万円を出して50枚のDVDを作る云々のくだり、めっちゃ好き。
と、いうわけで、
怪抱ぽんず
記事完成させるのに今日入れて4日かかりました。わてはアホです。