【恋】その恋、え~っと(計算中)25か26歳差【愛】
「アニエスv.によるジェーンb.」を観たからには姉妹作である「カンフー・マスター!」を観ないとバーキン・オタクたちとは話が通じ合わんわけです(未確認)。
ストーリーは至ってシンプル。
いわゆる「ロリータ」の逆バージョンです。
中年男が少女に恋するのではなく、バーキン扮する中年女のヒロインが少年に恋をします。
「ロリータ」と違うのは、バーキンと少年が相思相愛っちゅーとこっスかね。
(ドロレスはハンバートのことは愛してないので)
バーキンが脚本を書いたのを知ってヴァルダ監督が「それじゃあ撮ろうぜ」って撮りました。
原作・映画版どちらの「ロリータ」程はどぎつくはありません。
主な出演者は原作者であるバーキン、
バーキンの実の娘シャルロット・ゲンズブール(娘役。以下“娘”と表記します)、
同じく(シャルロットより出番の多い)末っ子のルー・ドワイヨン、
(出番が多い理由は小さすぎてバーキンから離れられなっかったんだと思う。彼女の生年月日と本作の公開年を単純計算すると当時5歳なのだが、それよりも絶対に幼いので、撮影当時は3歳か、4歳になりたて、とかじゃないだろうか)
と、バーキンといちゃこらする少年役の
アニエス・ヴァルダとジャック・ドゥミの息子というハリー・ポッター並みの遺伝子を持つマチュー・ドゥミ(以下“少年”と表記します)。
と、バーキンの親族。
ロケ地はバーキンの家や実家を活用。
という、ホントに「二家族で撮りました!」感がすごい映画なのである。
(「アニエスv.による~」の途中&同時進行で本作を撮り上げたヴァルダ監督のバイタリティにKANPAIなのだが、そのせいで撮影隊が家に一年中いてシャルロットは嫌だったという。そうだね、思春期じゃなくても大人でも嫌かもシュウマイ)
<ヒロインと少年の出逢いのキッカケ>
娘が主催するパーティー(バーキンの実際の家の庭がぱーちー会場)で、子供なのに酒を呑んで悪酔いした少年の口にバーキンが自分の指を突っ込んでゲロを吐かせてあげたことから、
(ロリータもたしか歯を矯正中だったよね。このお年頃ではよくあることなのでしょうか)
その少年が気になりだすバーキン。
何故その少年が気になるのか、どこを好きになったのかがあまり説明されない為に混乱するが、「そういうもの」として鑑賞を続けましょう。
<急にファッションのコーナー>
本作のバーキンのファッションがファミニンとは真逆でとても良い感じなんですよ。
私が同じ格好をすると本物のオッサンになってしまう。
ファッション・コーナー終わり。
<関係が深まっていく>
そんなこんなで、少年が家に来るようになり、
(ルー連れて三人で)ゲーセン行ったり、
(少年がハマっているゲームのタイトル名が「カンフー・マスター」)
(日本ではスパルタンXですね)
オッパイ触らせたり、
(触ってきたのは少年なのだがそれを受け入れる)
ホテル行ってチューしたり(部屋には上がらず喧嘩別れ)、
(鏡を使った見せ方がうまい!と思わず膝を撃つパッキャオぅ!by「デトロイト」のギャビンであります)
「ブレイキング・バッド」のハイゼンベルクが書かれたラブレターを少年から貰ったり、
と、ズルズル(しかし刹那的でもなくゆるゆる)と両者の関係が深まっていく。
<少年を実家に連れて行く>
娘と少年が約束をしてしまったが為にバーキンは娘二人と少年を連れて、ロンドンの実家に帰省をします。
(実家の客間ではしゃぐ母娘。二人ともなんて可愛いんでしょうか。眼福です。劇中のシャルロットは思春期真っ盛りで難しいお年頃なのですが、時折こうやって楽しそうにしているのが嬉しい…←我ながら気持ち悪い視点である)
さて、
(心配しないで下さい。父バーキン時々しゃべります)
実家でテレビを皆で見ている場面で、
ドクター・ハウスと、
(ヒュー・ローリーてさもう曾孫の世代まで働かなくても良いくらい稼いだよね)
マイクロフト・ホームズが出ているの楽しかったです。
(二人は元お笑いコンビです。因みにローリー氏の子供の名付け親ですフライ氏は。未だにアメリカに行くときはローリー宅に泊まるらしい。仲良し!)
コントの内容はハウスがエイズに罹ったら、テレビをちょうだい(どうせ死ぬんだし)とマイクロフトが言うという内容。
英国のお笑いはブラックジョーク通り越して、もはやブラックしか残らんということが多々。
食器洗剤を食べている影響なのだろうか。
(英国は洗剤で洗った食器を水に流さない…らしい。その方が綺麗になるからという感覚…らしい。そして乾いた食器をそのまま使う)
次に「FIRST AIDS」なる番組では、“コンドーム収集家K氏”なる人物が映し出され、
「四季」と書かれた箱に入っているコンドームや、
(冬用のコンドームは保温機能がついています(嘘))
角度によってウィンクする女性の写真の箱に入っているコンドーム
が、紹介されます。
英国では毎日毎日こんなシュールな番組を放映しているのでしょうか。確か国営放送だったはず。
モンティ・パイソンって英国のドキュメンタリーだったのか…。
<実家でチューするな>
場所がパリだろうがロンドンであろうが二人の愛の炎はボボボーボ・ボーボボ!
実家でチューはしないほうが良いんじゃないかな…
してしまいました。
見られました。
オッチャンはな、そうなる思っとったで。わかってたんや…見通しとったんやで…
娘から責められる母(そりゃそうだ)。
(娘は少年に好意を持ってそうだったしね)
(一昔前の妙な字幕収集家としてはこの"おいた"に反応しましたね)
しかし、母の反撃が凄かった(なぜ君もそこで反論をする)。
その路線で攻める親がどこにおんねんな!!
バーキンじゃなかったらほんま危ない親です。
お母さんが40歳だったころの姿を思い描けますか?
では、お母さんが14歳の子と接吻してるところを想像してみてください。
虹色のゲロが出ました。
(辛ラーメン、生春巻き、カマンベールチーズ、近所のカレー屋のキーマカレー、煮卵など)
オーバーザレインボーです。
その後の親族での集まりも気まずい雰囲気です。
(この親族大集合の場面は「アニエスv.による~」でも使われていましたね。兄バーキンもいます)
(この人は姉バーキンなのだろう。リンダ・メアリー・バーキンだと思われる)
そしてとうとう母バーキンにもバレてしまいました。
(すみません。どうしてバレたのか忘れました)
(お母さんのジュディ・キャンベルさんは女優なのでこの程度の演技なぞ鼻くそホジるより簡単でございます)
母「島へ行くのよ」
ほうほう。バーキン独りでね。反省のためにね。
え、少年と・・・?
<解釈えぐい>
なんだってーーー!!!
ネット用語風に言いますと「その解釈エグすぎワロタ」です。
うん、うん、そうなのよ、欧米の人ってさ恋愛至上主義みたいなところあるじゃない、
特にフランスなんかだとその傾向が強いんじゃないかなって思うのシネフィルイマジカ系映画観てるとさ
と、何故か脳内で漫才しているハラ〇チの澤〇佑氏の声で再生されました。
「愛は神秘。だから14歳と40歳だか39歳は恋愛して良し」とは…
令和に生きる皆さんはね~、わかったでしょう~、ねえ~、昭和ってねこういう時代なんですよ昭和エグしですわよな~~
と、今度はアレン様の声が響き渡りました。
突如に著名人が二人も出てきて多少パニックになりました。
母バーキンは二次創作界隈で人間関係のトラブルが多いジャンルに行くとさらに“解釈違い”という嵐をさらに呼ぶ感じがして良いですね。
<男女逆にして考えてみようのコーナー>
これ、男女逆にして想像してみてください。
(恐らく、本作を鑑賞した人は一度は考えていると思われ)
14歳の少女に40歳の男が手を出すわけです。
えげつなくないですか?
17~18歳と30~31歳のコンビだと、まあまあそういうこともあるかなと個人的には思います(未成年側の親から訴えられても知らんけどな)。
現代では拒否反応が出る人が多いでしょうけども。因みにこの年齢はバーキンと最初の夫であるジョン・バリーの年齢差です。
(↑まあ、この二人はケッコンしたから良いよね、といった受け止め方をする人も多いでしょう)
バーキンとゲンズブールは18歳差です。
この時はすでにバーキンも成人済みだし、別に本人たちの勝手ですよね。
バーキンとドワイヨンはたったの2歳差です。
こうして見るとやはり「14歳と40歳」というインパクトたるや、です。普通の常識人であれば虐待だと考えるでしょう。
(一応、葛藤はしている描写はあるんですけどね。最初のほうに)
バーキンやから綺麗な絵空自としてまあまあ観れるけど。
しかし、アマゾンのレビューでこんなレビューがありました。
その御方は「バーキンファン限定」として、
「この映画を好きになれるかどうかはひとえに、バーキンが好きかどうか、
ということになってしまうと思います。
バーキンが嫌いなら、出っ歯のオバサンが少年に惚れる、という気色の悪い話
でしかないでしょう。」
まさに、といった感じであります。
それに、バーキンがもしオジサンで相手が少女だった場合、最初から最後までこんなに軽い空気感で撮れるかなあっていう。
エリック・ロメールだったら力技で撮れそうですけど…
(ロメールが際どいテーマを締め上げて映画を完成させるというイメージ図)
<島への逃避行>
というわけで、
海です。
母バーキンのアドバイス(クソバイス)により、バーキンは少年とルーを連れて島へと行きます。
塩水を含む風で全ての家電が故障しそうな位置にポツンと一軒家があります。
実家所有の別荘なのでしょうか。
海に向かって走っていく少年とは「大人はわかってくれない」を彷彿とさせて良い感じですね。
さすが「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」と呼ばれるヴァルダ監督であります。
レオおおおおおお!!
(レオは今回は出ていません。すみません。貼りたかっただけです。レオ宣伝部長日本支社店ですからぽんずは)
島での生活は、愛を語り合ったり、
(えらいこっちゃ)
ワカメマンになったり、
死んだ魚の口に指を突っ込んだりと充実した日々を送ります。
(嚙まれたらええねん!)
今回はサムネをどれにしようか大いに迷いました。
<愛とは複雑怪奇なり>
君はさてはこのイカれた世界で唯一の天使だな。
本作について行けなくなった場合は、ルーたんの「ホームビデオ」として観賞することをお勧めする。
そんなルーたんが「ままー!ままー!ままがいないよぉ」と言って浜辺で泣いている場面があるのですが、周囲にバーキンも少年もいないので、二人は家の中で性行為に夢中でルーを放置している、と示唆している…のかなあ?…
(だ、大丈夫、周りにスタッフが見張っているはずだと視聴者を不安にさせるほどのカメラの引きっぷりである)
因みに島に到着した初日に、少年とバーキンは2つの寝袋を大きな1つにして二人で寝ると決めるのですが、それもそういった意味…?
本作はエイズとコンドームという2つのワードが頻繁に出てくるのですが、どこに帰結しているのかイマイチよく分からん…。
バーキンと少年の肉体関係をボンヤリと当時の(エイズにまつわる諸々)空気を交えて
表しているのか…。
はたまた、バーキンの脚本がそうだからそのまま撮っているのか…。
というか、バーキンと少年は最後までプラトニックなのか、肉体関係を持ったのかがハッキリとは描かれませんので、両者の関係の深さとか、どういうふうに愛しているのかがちょっと不明。
結局、バーキンが子供たちの為に料理を作ったりして“お母さん”役してるし、
恋愛の要素がチューとか「愛してる」といった台詞でしかないんだよなあ。
まあ、もしかしてマチュー・ドゥミも子供だったしそれが演技の限界だったかもしれん。
(マチュー・ドゥミは現在も俳優さんです。日本版ウィキにはあまり情報が載っていませんが母国フランス版のウィキには1977年から2020年までずら~~っっと途切れることなく出演作品が並んでいます)
<島からの帰還>
ずっと島にはおれません。
島から二人が帰ると、少年の母親からバーキンが告発され、
(少年の祖母経由でバレたらしいがどうして祖母が知ったのかは不明…)
娘二人は元旦那の元へ。少年も娘も学校を転校する羽目に。
「私は悪い女にされ、全てを失ってしまった…」とバーキン。
それらが全て映像のモンタージュと共に台詞で語られます。
本作のラスト10分前は、突如打ち切りが決まってしまった漫画みたいに広げた風呂敷の
畳み方が雑です。
<けども娘は母を見捨てない!>
しかし、娘は定期的にバーキンの元を訪れ様子を見に来ています。
娘の恋バナとかしたりして、親子の絆は薄まっていないようですね。
そんな彼女は今読書にハマっているそうで、バーキンにドストエフスキーの「賭博者」がオモロイと急に激アツな言及をブッ込みます。
(ざわ…ざわ…)
倍プッシュってやつか…
娘が墓石を削り持って帰る日も近いってわけか…
<ラスト:少年はどうしているのか>
バーキンの出番はここで終わりです。
最後に少年が二人の関係性のことを級友に話している場面で本作は終わりです。
チーン…
バーキンにとっては人生を揺るがす出来事だったのに、少年は何も変わってないんですね。
バーキンは死ぬまで少年のことを忘れないでしょうが、少年は良い思い出として記憶のなかで薄れていき、好きな女と結婚したり子供を作ったりしてバーキンのことは忘れていくでしょう。
だから何?
といった感じの本作でありますが(笑)。
年若い子と付き合うのは覚悟がいるよ、ていうハナシなのか。何なのか。
(いや、年若いというかガキやろガキ!)
まあ、バーキン一家を愛でるのには最高な作品ではありました。
<さてさて、>
本作のレビューのなかに、年上男性ばかりと付き合ってきたバーキンは少年と自分を重ね合わせている(年上男性に対する批判を含む)のではないか?といった内容もあります。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないですが…
劇中では、夕飯時に自分が娘と同じ年頃だった時オッサンが好きだったという話をいきなりしだして、娘に嫌がられる場面はそういうことを表現しているのかもしれない…
私が何故こんな曖昧模糊もこもこもこもこもこな言い方をするかというと、
バーキンは「私が書いた脚本と撮り方が違う」とヴァルダ監督に文句を言ったそうなのです。
なので本作の内容すべてがバーキンの言いたいことでは無さそうですから、真意は分かりませんね。
因みにヴァルダ監督は「だったら自分で映画を撮りなさいな」と言ったらしく(笑)、
バーキンも「よお~し!撮るぞ!」
当時の夫ドワイヨン「撮るなら短編じゃなく長編を撮れ!」
となって、どうやらこの世の中にはバーキンが監督をした映画があるようだ。
これですね。2007年の映画です。
あらすじは…
ブルターニュでは、中年女性のアンナは、いつか死んだ父(ピッコリ)、意見する母(チャップリン)、成長した3人の娘たちの思い出と一緒に、荒れた家に住んでいる。アンナは中年の危機と闘いながら、家にある持ち物や写真が、幼年期や成人期の記憶を呼び起こし始める。
特に呼び起こされるのは、3人の夫と彼らとの間に生まれた子供たちの記憶である。ファニーのイギリス人の父親(ハート)との最初の結婚は失敗し、その結果、ファニー(レニエ)は父親のことをほとんど知らない。ファニーの異母姉はカミーユ(ドワヨン)で、アンナはカミーユの今は亡き父マックス(ベニシュー)との間にもうけた子である。また、3番目の夫であるジャン(花菱)とはリリー(エグザルコプロス)をもうけたが、彼は浮気のために出て行った。
自分の人生を軸に虚像を交えて描いているといった感じでしょうか。
観てみたいですが、どうやら日本ではソフト販売はされていないようだ。私にdeep L並みの翻訳パワーがあったら良かったのだが…。
いつか観れることを祈って本記事を終了いたしましょう。
フランスはコンドーム販売機でさえオシャレという恐ろしい国。
怪抱ぽんず
私はいつになったら短文が書けるようになるのでしょうか。
不安で仕方がありません(嘘)。